前回記事⇒私の将棋史~暗黒社会人編~【新卒カードを逃した者の末路】
暗黒時代を経て私の誇りを取り戻す戦いが始まった。
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【25歳】
◎6月 山形県将棋最強戦
アマ名人戦と県選手権の上位4名合計8名が総当たりで戦い東北六県大会に出場する3名を選抜する。
名人戦と選手権でどちらもベスト4以上に進出する事はよくあるので(まぁ私がどちらも4位なんですけどねw)推薦で今回は中学2年のほまみーが招待された。
この大会は、8名総当たりで戦うので当然同じ勝敗の人が出てくる。
その場合大事なのは順位。
県名人or県選手権の成績が上位の人が優先されます。
「優勝>2位>3位>4位>推薦」
つまり私は、4位を2個持っているのですが3位を持っている人には敵わないわけです。というわけで私が優勝するには、ぶっち切りの勝ち星が必要という事です。
・1日目
4局指して3-1でY寺県選手権者、S木M明さん、私の順。
下の新聞にトップ3人と書いてあるが実質私は順位が悪いので3番手(>_<)
↑中2のかわいいほまみー。
・2日目
〇・・・
〇・・・
〇・・・
まさかの優勝どやぁぁ…(6-1)!
誇りを取りもどしましたw
2位がS木M明さん(5-2)、3位がI藤さん(4-3)でした。
Q、なぜ優勝できたか?
A、徹底した準備です。
総当たりなのでそれが出来ます。
まず、Y寺さんとほまみーは当時はノーマル四間しかしてこないので居飛車穴熊決め打ちで2勝をもぎとれたのが大きい。相振りはリスクが高い、現に私の1敗は当時東北大生だったH井くんからくらったものです。
あとは、それまで1回も勝った事が無い居飛車穴熊の使い手I藤さんに虚を突いて人生初の中飛車穴熊で勝てたのも大きい。相穴熊で優勢になればと金を寄せるだけなので終盤弱者でも勝てちゃいます。
そして、もうひとつ勝因があります。
当時の山形県棋界は私の大学将棋特有の指しまわしについてこれていない面があったと思います。何手かかっても良いので金銀を自陣に埋めまくってと金を寄せて勝つというような大局観です。
・高校時代に初出場した時は6位でした⇒私の将棋史~高校3年の頃~
◎高校の同窓紙
同窓紙なんて誰も見ていないと思ったので…
「将棋は地味な競技だから確実に滅びる、だから普及活動、俺が10代選手の目標になっちゃうよ」とテキトーな事を書いたんですがまさか今こんな将棋ブームが来ているとは!!ひえ~です。
◎東北六県大会 in岩手
S木M明さんのみ個人戦3位入賞でチーム5位。。
私は見事に全敗\(^o^)/
あれ!?
「勝つことに意味がある」「10代選手の目標になる」
って書いたのは何だったんだ!?
この一連の流れはそういうコントなんだと思ってください(*´Д`)
いや、マジで言うとね…
優勢の将棋も憑りつかれた様に着地失敗する日だったわけですよ。
例えばこの将棋・・・
・2回戦 vs Mさん(福島)
あべしん後手で53銀型四間、対してMさんの居飛車穴熊。
53銀型四間は大学3年の頃から地味に研究しているオリジナル戦法で自信はあったんですけどね。 参考記事⇒私の将棋史 ~大学3年の頃~
赤矢印の指了図。通常の44銀型四間であれば44銀→53銀と引く局面だが、53銀型四間はダイレクトに53銀型に構えることが出来る。その分の手得を活かして95歩型+銀冠に組んで千日手含みで待つ事も可能。ここらへんは後手まずまず思っていた。
最終盤の下図。
本譜△61桂は落手…ここでは5手1組のすごい手順がありました。
なんと・・・
△同銀▲同歩成△同金▲74歩が詰めろになっていない!のでそこで△79銀で勝ちでした。
これはH輪監督がソフトを使って発見した手順でまさか▲74歩が詰めろになってないとは驚きました。まぁ秒読みじゃなくても発見は難しかったと思います。
・5回戦、vsKさん(岩手)戦の山形新聞の自戦記
全敗回避のために後手番だったのでまずは阿部式立石流で消費3分で千日手。
これ負けて全敗が決まりました、ひいいい。
と、散々な目に遭って削られながら岩手から去りました。
◎アマ王将南東北大会
予選抜けて2日目に進出、そっからを1回勝って準々決勝で石川のS木A春さんに手も足も出ずに圧敗、8位でした。ちなみに私はA春さんの『かまいたち』シリーズの本を保有しており対策も研究していたんですがね。でもまさか・・・
「新かまいたち」なんて型があるとはw
◎県朝日アマ名人戦優勝(S木M明さんとW優勝)
⇒西東北大会決勝で秋田のS木さんに敗退。
強かったです。
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【26歳】
モチベーションだだ下がり。
仕事も削られ削られ。
この年は岩手の全国高校竜王経験者のS野くんが転勤で山形に来て大会を荒らしていました。
S野君からは私も高校時代にひどい目に遭わされています
参考記事⇒私の将棋史 ~高校2年の頃~
・県職場対抗戦
Y寺さんとW辺Kさんと組んで優勝しました。
W辺さんについての参考記事⇒28.12/6(火)酒田清亀園研究会その1
W辺さんは道場の先輩なので恥ずかしい将棋は指せない!とそれをモチベーションに頑張りました。
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【27歳】
県アマ名人戦は地区予選落ち。
正直、将棋どころではなかった。
経営者が「あなたの代わりはいくらでもいるんですよ~」という哲学をいつも以上に発揮、どんどん人が辞めていき潮時かなと思った。
入社してから1円も給料は上がらない。
将来に夢も希望もありません、実家暮らしでギリギリ生きていけるレベルです。
友人たちはどんどん結婚して家庭を築いているのに人生終わったなぁ…
なんとかしないといけないなぁ…そんな事をここのとこずっと考えていたのでした。
その時、S野君から「東北六県大会出ようぜ」と連絡が来た。
そうね~~~(;´Д`)
最後に楽しい思い出作るかな~と思いましたね。
仕事辞めたら無職になるので将棋大会も出にくくなります。
新聞の選手紹介で「職業:無職」は「いい年して働きもせんと将棋ゲームやってんの?」と将棋のイメージダウンにもなりますしね。
あと、東北六県大会のリベンジもここでやっとくかと。
全敗したまま引退するのもどうかと思っていたので。
というわけで、再び将棋のやる気が戻りました(笑)。
あべしん
・アマ五段(県竜王戦優勝)の四間飛車党
・中学、高校、大学、社会人で県優勝
→全国大会出場
・地元紙で将棋の観戦記を書いてます
・連絡先→kouteipengin6@gmail.com
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