前回記事→私の将棋史~中学時代~
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将棋推薦で公立N高校入学!
どんな感じの高校かというと…
男女比は1:2くらいですね。
卒業後の進路として専門学校・短大に行く人が結構いるっつうのが特徴ですね。
もちろん大学進学者もいますが偏差値50ちょいの国立・公立大に行ける人はごく一握り。あとは、無名私大ですかね~~。
と、まぁこのくらい説明すればもう分かってくれると思います。
基本的に青春を きゃはっ(^_-)-☆と楽しむ学校です。
で、こういう学校に将棋バカ野郎が行くとどうなるか…
クラスに馴染めずあひゃ\(^o^)/
ま~市内1の進学校に無理して入学すれば気が合いそうな奴がいっぱいいて退屈しなそうですがそもそも私は勉強が死ぬほど嫌いなのでねぇ…。
というわけで、きゃはっ(^_-)-☆な学校で将棋マンが市民権を得るにはどうするか…
とりあえず将棋=じじくさい=ダサい=ネクラ野郎というレッテルを張られるともう終わりなので最初が肝心なわけです。
ですが私は…
・勉強が不得意なので秀才キャラでは市民権を得られない
・運動も苦手なので無理
・遊びも苦手なので…
結局、将棋を頑張るしかないんですね。
とにかく連中から趣味=将棋=遊びでやっているとナメられてはダメですね。
(この精神は大学⇒社会人になっても持ち続けています)
ま・ず・は・・・
高校でも県大会優勝して学校で表彰されて、
そういうレベルなんですよっていう事を知ってもらわないといけないです。
これが急務だと思いました。
私は今も昔も県大会優勝以上の成績というのは1つのブランドだと思っています。
将棋知らない人でも「お~~」と言ってくれるのが県大会優勝です、2位ではダメなんですw
そしてさらに言うと優勝して終わりではなくそれをどう使って実利を得るのかというのが大事だと思っています。
というわけであべしんせんせーの戦いが始まります。
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◎高校1年
〇インターネット将棋倶楽部24を始める。
道場で駒落ちしかやらないので平手の特訓になりました。
ここで気づく。
本に書いている「これにて振り飛車良し」の変化に入っても勝てないw
親に頼んで別の定跡書を買ってもらいそれを試しても勝てない。
ぶっちゃけ言うと当時まともな定跡書なんて無かったんですよ。
四間vs45歩早仕掛けとか準急戦とか色々あったけど本の通りに指すと必ず悪くなる。
(舟囲いには終盤でなんとかしましょうという時代だったというのもあるけど)。
今まで周りの子どもが弱いので何とも思わなかったけど、ネット24の2200~の人と指すとそうそう逆転させてくれない。
困りましたね。
当時は、SNSも普及していないのでろくな将棋研究サイトも無いので地方の田舎民は圧倒的に不利、なんという情報格差。
そこで考えたのが…
1、定跡の先を自分で研究してみる
2、必殺戦法を持つ。
この2つです。
その結果、高1で2000~2200点、高2で2300~点、高3で2400点overだった気がします。
〇支部対抗戦東日本大会 ベスト4で3段獲得
荘内支部の100人特権でいきなり東日本大会から出場。
メンバーは、あべしん・当時の支部長、あべけん先生。
あべしんとあべけん先生で2-1で延々と勝ちました。
支部対抗戦は私は小6から出ていたんですが当初まったく勝てなかったんですよ。
でも徐々に勝てるようになってきたので成長の記録といえそうです。
支部対抗戦に関しては積極的に子ども達には出てほしいですね。
・このとき地元の新聞にこんなことを答えていました。
タイトルの「将棋の面白さは一発逆転」なんですけどね、これは師匠に怒られました\(^o^)/
「負けられないという気合が大事」、今の私に聞かせてやりたい!!
あと、やはり自分なりに色々考えて勉強していたんですね。
〇県高校選手権 2位
高校生は高文連主催の大会で勝たないと学校も報知活動(私の宣伝)をしてくれません。なので県高校選手権は頑張るぞ~ぃと思っていたら…
3年連続中学選抜の決勝で勝っていたS藤Y君からついに負けました\(^o^)/
初めての挫折ですね。
県内では将棋エリート人生を送ってきたので悔しくて家に帰って泣きました。
信じられなかったですね、高校でも当然勝つと思っていたらこれですよ、将棋推薦で高校に入ったのにこれですよ。
はぁぁって感じです。
ちなみに彼が用いた作戦は、飛車先不突右四間穴熊です。
当時の観戦記に研究してきた戦法と書いてあります。
付け加えると、S藤君はこの時期から積極的に東京に繰り出し修行していたと記憶しています。やっぱり強くなりたかったら勉強法や環境を変えるとかしないとダメですね。
下図、終盤後手の私がこっからやらかします。
王様狭くするお手伝いをして負け、げんなり。
☆あべしん先生のミニ講座☆
・飛車先不突き右四間穴熊の厄介な点
94歩から93桂が効率の良い仕掛け。
94歩で▲95角を消して、73歩型にすることで後の▲73角も消す。
通常の94歩+84歩+74歩+73桂型より早く穴熊が組み上がるため隙が無く、そして仕掛けが早い。穴熊が組み上がってから74歩と突いて7筋攻めを絡める筋もある。
四間飛車は、15歩や98香、26歩など指したい手が全然間に合わない。
これが後手四間だともっと手が間に合わない。
本も結構読んだんですが振り飛車互角と言いながら全然ダメなような気がしましたね。
◎窪田先生の『撃退!右四間』
最速の仕掛けに対しての対処法が書いていたのが役に立ちました。
その手順はやってくる人が結構いるので知識として覚えておくと便利。
自力で発見するのは大変だと思う。
◎杉本先生の『四間飛車の定跡』
【目次】
第1章 居飛車右四間飛車に対する作戦―相腰掛け銀、先手6七銀型四間飛車(居飛車急戦・居飛車持久戦飛車先不突き右四間)
記憶が定かではないが飛車先不突き右四間に四間飛車するのは良くないみたいな事がさらっと1行くらい書いていたような気がする。
いや~~飛車先不突き右四間穴熊最強ですよ…
この作戦に私は3年間苦しめられることになります。
・なお、高校選手権団体優勝の山形工業には…
回り道ブログのT田さん!がいました。
◎県高校竜王戦 優勝
T田さんの最後の竜王戦を相振りで入玉して勝ちました\(^o^)/
そんでS藤Y君がトーナメント途中でコケたので私が優勝。
色んな意味でホッとしました。
学校で表彰された時に「県優勝はすごい…」とヒソヒソ声が聞こえたのが印象的でした。
◎全国高校竜王戦 in福岡
予選なんとか通過。
本戦1回戦で昨年の全国高校選手権者と当たってあひゃ。
しかし、意外といい勝負で千日手。
指し直し局は10分30秒。
ここで必殺戦法を披露!!
ド田舎流ハメハメ向かい飛車が炸裂して勝ちました!
当時私は藤井システムを使う棋力に達していなかったので急戦向かい飛車を多用していました(^_-)-☆
◎読んでいた本
・大内先生の『必勝向かい飛車』
ベスト8をかけた対局でも調子に乗ってハメハメ流向かい飛車使ったら完膚なきまでに叩きのめされて終了\(^o^)/
全国ベスト16でした・・・。
・県高文連に提出した全国竜王戦の報告書
必殺戦法の件を「アベシステム」とか言ってる…
痛い・・・黒歴史や‥‥藤井システムに憧れすぎだろ…。
※当時は空前の〇〇システムブームでしたw
ちなみにこれですがね、高文連に提出するのは分かっていたんですがまさか掲載されるとは思っていなくてテキトーに書きすぎて後悔しました。
◎高校新人戦山形県予選
20分切れ負けという鬼のようなルール。
S藤Y君に終盤優勢の局面から「歩」を打たれいきなり敗勢に!!
「え、そんな良い手あったの?( ゚Д゚)」と思いながらく時計を叩き続けるが負け。
終局直後に「これ2歩でした」とカミングアウトされてあひゃーーー!!
投了優先なので仕方ないけどね。勝負の世界は厳しい。
ただ、悲しかったのは4-1で順位が悪く2位までの全国大会枠に滑り込めず全国を逃すというね。はぁぁぁ。
ちなみに東北高校新人戦は出ていないはず、存在を知らなかった。
〇全国オール学生選手権個人戦 ベスト32
この時から東京遠征の際に蒲田将棋道場に行くようになりました。
当時、門倉プロや藤森プロ、鈴木肇さんなどその世代の方達が凌ぎを削っておりめちゃくちゃ強い道場でした。1日いて指し分けできれば上出来といった感じです。
オール学生大会は、東大のレギュラーの方に負けてベスト32。
私が指している時に「お、高校生か楽勝じゃん」「いや、でもなかなかやるのかな?」と外野がうるさかった記憶がありますね。
そんな感じで高校1年は終了。
続きはこちら⇒私の将棋史 ~高校2年の頃~
あべしん
・アマ五段(県竜王戦優勝)の四間飛車党
・中学、高校、大学、社会人で県優勝
→全国大会出場
・地元紙で将棋の観戦記を書いてます
・連絡先→kouteipengin6@gmail.com
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