私は4年生の3学期に学校のクラブ活動で将棋を覚えました。
その日はたまたま雨だったので「昔の遊び」という事で将棋がメニューにあって偶然触ったら面白かったという感じです。
もっと将棋やりたいな~~と思い、平成7年4月(小5)で土岐田将棋道場に8級で入会しました。
そこで6枚落ちから土岐田先生に将棋を教わり平成8年10月(小6)で1級。
当時小学生名人戦の存在を私は知らなかったのですが、天童市民の高学年の部で私は優勝しているので実質小学生県1位だったと思います。
ライバルは、同じ道場にきていたのちの山形出身プロ(小1):;(∩´﹏`∩);:
山形出身プロは小学校3年生で初段に到達、これは土岐田将棋道場の歴史で史上2人目。
1人目は土岐田将棋道場の一番弟子の高橋賢さん。
・高校生で大阪将軍に勝って全国朝日アマベスト8です。
私と山形出身プロの昇級ペースは同じですが初段上がってからが長かったという事を先日酒田に行った際に話しました。
土岐田道場の初段は他の道場でいうところの「3段」というレベルです。
いやぁ段位は今でこそ頑張れば簡単に取れますが昔は取るのが難しかった。
県強豪のS木M明さんなんて当時2段という肩書だったんですよ!
土岐田先生が「あの人は2段ってなってるけど、ゆっくり5段あるから気をつけなさい」とよく言っていたのを覚えています。ゆっくり5段という表現はしびれますね。
で、この間山形出身プロとチラッと話をしたんですがどうも私も山形出身プロも2段時代が無かった気がするんですよね。
というのも初段までいくと「もう段位は支部対抗戦で獲りなさい」という方針だったので…
・東日本支部対抗戦ベスト4 3段獲得 →私が高1&山形出身プロが小6。
※予選から2人で2-1でした。
・東日本支部対応戦優勝 4段獲得→ 私が高3&山形出身プロが中2&高橋賢さん。
※私のみ全勝:;(∩´﹏`∩);:
振り返ると、この頃の子ども達は非常に恵まれていたと思います。
道場からは高校生で県選手権を制したK田くんや赤旗県名人のH田五段などを輩出しています。後ろには居飛車本筋のW辺K元県竜王もいましたし。
もちろん、その影で脱落していった子どももたくさんいましたけど。
先日酒田に帰った際に山形出身プロと会う機会がありジュニア時代にどれくらいの実戦を積んだかは大事という話をしました。
山形出身プロは小1~小6小3までに土岐田道場で3,500局~4,000局は指しているという概算を示してくれました。小6までなら7,000局以上指しています。
と、すると私も同じくらい指したんだと思います。
私は、詰将棋・棋譜並べ・必至とか全くやらなかったんですがさすがにそれだけ指すと基本的な筋は実戦の中に網羅されていたと思うのです。
道場での指導対局は非常に怖かった。
従軍経験のある先生だったのでふざけた事をするものならすぐどやされた、破門された子もいました。
先生との将棋は1局終わると感想戦無しで次がすぐに始まりとにかく盤数をこなせという方針だった。
今思うと、弱いうちは感想戦をしても理解できないので盤数こなして体で覚えろって意味だったのかもしれません。
今、内陸の子どもを見てかわいそうだなと思うのは実戦・盤数をこなす場所がない事。
多分、そこを補填しないとなかなか強くはなれない。
今のベテラン強豪もありえないくらい盤数をこなして強くなっている。
※参考T部井さんから提供していただいた記事
で、こういう議論になると地方は不利、ではネットで実戦不足を補いましょうという話になるのですがあれは半分本当で半分嘘だと思うんですよね。
→こちらの記事へ。
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コメント
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2017/12/09 編集
あべしん
すいません、記憶がありませんm(._.)m
将棋の理解に時間がかかったのは私も同じです。
未だによくわかりませんがある日突然手が見えるようにぬりました、高2くらいで。鍛錬は大事ですね。
2017/12/09 URL 編集