T部井先生の右玉上手は有名だけど物書き上手は意外と知られていない?
これは平成27年に山形新聞に掲載された最強戦「Y寺さんvsT部井さん」第2譜の完全ノーカット版です。T部井さんの自戦記ですが当時文字数が多すぎて泣く泣く削った部分もあったとの事でした。
そこを追記してお届けします。
内容は、とある時期に山形支部で行われていたT部井さん・K野さん・Y寺さん・S木M明さんら研究会の内容です。
まぁ・・・あれだね。
現代流のソフトとか使っちゃうようなおしゃれな研究会とは一味も二味も違うのでギャップ注意ね!
ショックで泣く子どももでるかもしれん・・・。それではGo!↓
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◎徹夜の真剣勝負◎
Y寺さんとの関係は深く、平成15年頃からK野さん、S木M明さんと私で土曜の昼から集まり真剣勝負を指した。翌日の朝まで4人トーナーメントを行っていた。
異様な空間だった。食事休憩一切無し、感想戦も無し、逃げたら弱者。
持ち時間は最初は7分切れ負け等だったが山寺さんの切れ負けの技術があまりにも凄く、後に30秒将棋に落ち着いた。あまりの速さに脱帽すると「いやヤシキはもっとはえー」と返される。お化けヤシキ・・・アンタ誰とやってんのと舌を巻くしかない。
(補足「切れ負けから30秒将棋に変わった理由」
切れ負け将棋だと熱くなってしまい、お茶が飛び、駒も飛び、果ては時計まで吹っ飛ばす。お前が悪い、貴様の時計が切れているだのとしょっちゅう喧嘩になりとてもじゃないがやってられないのだ。)
とにかく指す、ひたすら指す、冬に灯油が切れても人間の限界まで指す。
勝つとゴキゲンで珍妙なY寺式替歌メドレーが部屋中に鳴り響く。
M明さんの気迫は凄く「バカな歌うるさいんだず!」と場の空気を一変される。
怒号に怯え、歌で将棋で弄ばれる私。
人生同様楽観的なK野将棋。
喜怒哀楽のバランスが取れていたからか狂気の世界は5年位続いた。
ー驚いたのは不眠不休不食にもかかわらず誰一人も疲れたと言わないことだー
帰る際もM明さんは毎回町内会のドブ掃除を理由に帰る。
「ヘボ同士でやってろ」で山寺さんが帰り、
大体いつもK野さんとデスマッチになるがこれが本当に長かった。
「本当の最後」、「本当の本当のラスト」、「指きりげんまん絶対の最後」、「ラス7番!!」等々疲れ果てて帰りたいのに開放されたのが月曜の朝だった事もある。
※あべしん感想
当時の情景が目に浮かんできますね。(笑)
こういう、状況で鍛えぬいた方達だからこそのあの将棋の迫力です。
終盤とか怖いもんな~~、何もしなくても怖いけど・・・(;´Д`)
でも当時の状況を示すこういう資料って貴重ですよね。
山形県の昭和の棋士達の勉強法は謎に包まれているのでみんな知りたいとこだったと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆おまけ☆
◎オカドタ君誕生秘話◎
山寺さんが中学三年生のK田君をつれてきた。我々は彼のその度胸に感服し敬意を示し
おを付けてオカドタ君と呼んだ。大人四人が一人抜けオカドタ君の外馬に乗るが、負けても
ピクリともしない。並みの中学生じゃねえなとすぐわかった。
高校二年生で最年少選手権者になるが、我々は「まあ普通だねえ」という感じで捉えていた。
皆負けず嫌いで誰一人おめでとうの一言もない。やはり異常でシュールな空間だった。
※あべしん感想
K田くんも私と同じ土〇田道場出身で、H田君と同世代です。
高2で高校じゃない方の県選手権取ってそのまま最強戦でも確か2位になって東北六県にも出ました。大学は早稲田。今は酒田で家業を継ぐために修行してるって聞いたけど大会に出てきたら普通に上位に絡んでくると思うなぁ。(*'ω'*)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
T部井先生ありがとうございました!
やはり、棋友に恵まれることは大事ですよね~。
なんだかんだいって仲間っていいなと思いました^^
- 関連記事
-
コメント
元部長
あべしんさんの自戦記も楽しみにしてます!
2017/06/13 URL 編集
あべしん
大学時代徹夜将棋はしゅっちゅうやってました、それが強さの源になっています。将棋は、狂気の世界に入る時間が長ければ長いほど強くなれる気がします。
2017/06/14 URL 編集