藤井システムは素晴らしい。この戦法が評価されている点としては、急戦~持久戦まで何をやられても対応できるという手順を藤井猛先生が心血を注ぎ才能をもって体系化したことにあると思う。
藤井システムの優秀性にいち早く気づいたのは同業の棋士達であり藤井猛棋士はとてつもない天才だということがアマチュアにまで浸透した。人間が人間をこの人はすごいと評価する、そんな時代だった。
さて、時は令和2年。
序盤研究に将棋ソフトは必須のものとなった。
プロの棋譜中継を見ては「これは悪手です、こっちの手の方がおススメです」とどこの誰だが分からないアマチュアがソフト研究を披露する時代になった。自身の棋力ではなく、ソフトを使って序盤研究をする自分に自信を持っている人が増えてきた。
ー何者になりたいのか?ー
ソフトが無い時代であれば、序盤の新構想はその人自身の才能で称賛に値するものだった。私も藤井猛先生に憧れて目指せ升田幸三賞をスローガンに10代の頃は色々と頑張った。新構想や新手はいくら優秀でも勝たないと評価されない、だからプレイヤーとしても強くなろうとも思った。藤井猛先生も升田先生もめちゃくちゃ強いからね。
しかし時代が変わった。
とあるプロの先生が動画配信で言ってました、最近の研究はいつ誰が最初に指したのか分からないと。新構想も新手も全てソフト発疑惑がかかるので、誰が最初にその手を見つけたのかそもそも興味がある人って減っていると思うんですよね。
研究をSNSで発信して、プロアマ問わず目立つ人が公の場で指したら「この研究を一番先に見つけたのは私です」とアピールする手もあるが既に誰かが見つけている可能性も大いにある。間違っても恥ずかしくて「ぼくの真似した?」なんてどっちが先かの順番なんて滑稽すぎて問いただせないです。まぁ一番最初に発信したという点のみ事実として残るけどこれでは序盤産業も以前ほどリターンが無いなぁとしみじみ感じる。
色々思うけど、現代の「序盤研究すごいね」はその人の才能に対しての賛辞ではなく、頑張ってソフト研究して偉いねという意味だろう。
もちろん様々な切り口から検討して膨大なデータを体系的にまとめあげる技術はガッツとセンスを要するスーパー称賛案件なのだが、純粋に将棋の才能に対してではないのが古参としては悲しい。なんていうか、ソフト使いとしての評価に変わりつつある。もし「正社員:序盤研究員」という求人があればそれは独創的な発想の天才ではなく一流のソフト使いを求めているのだろう。
現実的に今ソフトを使わずに新構想を作り上げるのは無理。藤井システムもソフトにかけるとちょっとまずい点もやはり出てきている。昔はまぁ悪いだろうけど実戦的に大変な局面の寿命はそこそこあったはずが今だと2回目以降はきっちり研究されてかなり苦しい将棋になる。
かつての無邪気な子どもは「この新研究を〇〇棋士に見てもらいたいわ♪何ておっしゃってくれるのかしら^^」と思ったりしていたが今の子はそんな感じではない。研究=ソフトなのでそれをプロに見てもらって何が楽しいんだという感じでひじょ~に淡々としている。
ロマンの無い時代だよなぁ。
最近は、序盤そのものというよりも序盤における一流の準備、すなわち準備力に感動する。将棋世界8月号の名人戦第一局「香浮きは計略の匂い」という記事は必見です。
トップ棋士がここまで時間攻めについて考えているのかと、そして用意の作戦は勝たないと意味がないという話、ソフト研究全盛時代いかに相手の研究を外すか、使い捨ての作戦など大変ためになった。私も前々からこの時代に勝つにはそれしかないよな~と思っていたのだが渡辺名人の徹底ぶりは本当に凄いので驚きました。時代は、序盤・中盤・終盤・準備力です。ソフトが無いと勝てない時代ですが、それ以前に頭が悪いと勝てない時代でもあるなと思いました。
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